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- 苺電波コラム 第48回 -

「純愛の狂気(その1)」


純愛には狂気が宿っている,と言うと言い過ぎだろうか?

DVDプレイヤーを買ってから映画を見る数が増えた. 映画は元から嫌いではない. むしろ好きな方だ. しかし,映画館に足を運んだり,放送予定をチェックしてTVの映画をみたり, レンタルビデオで何かを借りて見るということはあまり無かった. それがDVDになってからは映画を時々見るようになった. きっかけとはそういうものかもしれない.

そこには様々な愛を持った男と女がいた. 愛する人に濡れ衣を着せられても愛する人を恨むことなく 「せつないだけだ」と言う男, 愛する人と二人でいたいから夫を殺し絞首刑になった女, 愛する人を失いたくないがために放火し罪の無い人を殺した男.

狂ってる. けど,美しい.

愛する人に拒絶されて, 想いを胸にしまうのとストーキング行為に走るのとどっちが純粋な愛だろう?  ストーキングはやってはいけないこと,犯罪だ. 愛する人にも迷惑がかかる. だからやらない. 胸の中に想いをしまうのは相手にも迷惑をかけないし,犯罪でもない. だから,想いを胸にしまう方が愛する人のことを純粋に想っている行動だ.

本当?  犯罪者になりたくないから,愛する人に嫌われたくないから, 愛する人に拒絶されているという現実をこれ以上見たくないから, つまりは自分が可愛いから,違う?  だとすれば,その愛は「自分が可愛い」という感情に汚されている. でしょ?

純粋に愛するからこそ胸に想いをしまうというのならその想いは墓場まで持っていってもらわないと. 他の人を好きになるかもしれないって?  そう,あなたの愛は他の人への愛で上書きされる程度のものなの. 他の人から愛されるかもしれないって?  そう,あなたの愛は他の人から愛されたいという感情に汚されているの.

ほら,あなたの愛はまだ純粋になれる.

純粋な愛で満たされた人間の行動, 「愛しているから」以外の理由が無い行動. それは時には理性,道徳,常識,法律といったものから逸脱する. 終いには愛する人を傷つけたり,殺めたりすることさえある. 愛する人を失うことがどういうことか,そんなことを考える隙間さえもう無いのだ.

勿論そんな純愛ばかりじゃない. 静かに純粋な愛を紡いでいる人だっているだろう. けど,純粋な愛を持った人間はちょっとしたきっかけで狂ってしまうものなのだ. 端からみると愚かしく,醜いまでに.

だから美しいのだけど.


次回の苺電波コラムはごうです。


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