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- 苺電波コラム 第51回 -

「ゲームで見た夢(2) FinalFantasy」


■はじめに

前回のコラムから、更に「大航海時代4」を買った。何が原因なのかは知らないが、数回に一度、起動しても画面が真っ暗なままの状態になる事がある。PCの場合、ハードの組み合わせが無限に近いので、バグを完全に取り除く事は不可能なのかもしれないが(今回の場合も、プログラムのバグではなく、グラフィックドライバのバグという可能性もある。ハードのバグという可能性すらある)、それにしても、最近パソコンのゲームでバグ、それを修正するためのパッチというのが多い。プログラムのクオリティが下がったのか、それともインターネットで簡単にパッチが配布されるようになったので目立つようになったのか。昔は知らなかっただけ、なのかもしれない。経営上の都合でいろいろあるのだとは思うが、誤記レベルは構わないとしても、買った状態で普通にゲームがプレイできるようにはしてもらいたいなと思う。面白いゲームだと余計に。


■宿屋でしかセーブできなかった頃がなつかしい

というわけで、今回のお題は「ファイナルファンタジー」。去年に8作目が出て、今年の夏に9作目が出ようかという大シリーズである。ちなみに私は、亜流である「ファイナルファンタジータクティクス」を除けば、全てのゲームをやっている。残念ながら、FF8に関しては途中で力尽きてクリアする事を断念してしまったが、シリーズ全体としては好きなゲームである(それゆえ、8の出来には不満があるのであるが)。
PSで発売される以前(つまり、FF6まで)は奇数シリーズと偶数シリーズという言葉があった。奇数シリーズはシステム重視(キャラクター固定)、偶数シリーズはキャラクター重視(展開によってキャラクターが入れ替わる)という傾向があった。FCで発売されていた時期は、私は奇数シリーズが好きであったが、SFCに移行してからは、偶数シリーズの方が好きになった。これには、単に作品の出来によるところも大きいが、ゲームが壮大になるにつれ、システム重視ではいろんな面において冗長になってしまう、という事が大きく関わっていると思う。これは個人的な意見だが(これに限らず、今までのも全部個人的意見ではあるが)、ドラゴンクエストは今でも昔からのシステムを引きずっているおかげでかなりの無駄を含んでしまっていると思っている。例えば技の多さ。インターフェースの悪さも手伝って、使う技はほとんど限られてしまっている。スクエアが5で奇数シリーズを止めたのは良い選択であったのではないか。7や8で魔法を装備制にしたのは、多くなった魔法を効率よく使う為だったのかもしれない。 とはいえ、今後のFFに私がシステム重視を求めてないかといえば、そうではない。最初、9に黒魔術師が出ると知って「奇数シリーズ復活か?」と喜んだものである。7と8を見て、私は「FFは一度原点を見直したほうが面白くなるのではないか」と思っている。「クリスタルの復活」が良い方向に向かう事を私は期待している。

■何故、飛空挺に載ると3Dになるのか

システム、シナリオから一歩引いて。FF、特に最近のFFは「表現力の高さ」が他のゲームに比べて秀でていると思っている。SFC時代の6もすごいと思ったが、PSにプラットフォームを移してからの映像のすごさは、プレイした事のある人なら誰でも知っていると思う。だが、私は「高すぎる」と感じている。正確には「表現力を高める事に力を注ぎ込みすぎている」という感じか。今までスパイスだったものがメインディッシュになったと言っても言い過ぎではないと思う。ゲームにおいて、何らかの操作をしてから次の操作をするまでに長い時間があると、それはストレスになる。繰り返し実行しなければならないものであるならなおさら。とまで書けば私が最近のFFに対して不満に思っている部分がどこかは分かると思う。PS2が発売された今、PSで表現力の高さを誇示する必要はない。その技術力を他にまわす事が出来れば、なんて思うのは甘すぎるだろうか? 他のスクエアのゲーム、例えば、「サガフロンティア2」「デュープリズム」などを見るかぎり、十分可能だと思っている。

なんだかんだ言って、私はFFにまだまだ期待しているようである。今更明言する事ではないか。


次回の苺電波コラムは東雲あずみです。


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