お久しぶりです。 前回のコラムはどうしてもネタが思い浮かばずパスしてしまいました。 というわけですごく久しぶりのコラム、しかもまた〆切破ってますか。またですか。そうですか。ふーん。……すみません(汗)
さて、今回はエロゲーがエロであるという事について書きたいと思います。
#実は今さっき3分ほど前に思いついた事なので、どう展開するか自分でも分かってなかったりしますが(ぉ
それではいってみましょう。
●人になりました
まー、さすがにその後マシンパワーも自由に使えるようになってくると(それでも8色とかだったんですよ。多分今の子供に云っても信じて貰えないでしょう(笑))、ちゃんと絵描きさんが原画やって、ドット絵師が芸術的(だと思います、ほんとに)な技術で彩色したCGが付くようになってきます。
ただ、この頃はまだ絵が付いたという事自体が凄すぎてやっぱりお話には無理があるものが多かったような気がします。その後マシンパワーが上がってCGは16色になりましたが、数少ない例外を除いてやっぱりお話は陳腐でした。(と、云ってもその分インパクトの強い作品は多かったですよね。『はっちゃけあやよさん』とかまだ印象に残ってますし(笑))
●文化の興隆
DOS時代の末期数年になってくると今から見ても十分に良いものも結構な数出てくるようになってきます。
業界全体のレベルも高くなっていて、「ここのソフトなら安心」といったソフトハウスが多かったのではないでしょうか。
末期も末期ですが、アリスソフトの『夢幻泡影』や『アンビバレンツ』などは現在に至るまでも物凄く影響を受けてます、僕は。 夢幻は5年前、アンビなどはもう6年も前なんですね。
思えば、この頃が一番業界全体が安定していたのではないでしょうか。(逆に言えば閉塞した空間だったとも云えるのですが)
●カーイコークシーテクーダサーイ(ぉ
この状況は95年にWin95が出た後に一変します。
と、云ってもすぐに変化したわけではなく、96年の末頃から急速に変化していったように思います。
これはソフトハウスがWin95への移行を様子見していたというのが大きな要因の一つでしょう。
しかし、95年末から96年秋頃までの間というのは、Win95ブームのおかげでパソコンの普及が大きく進み、「雑誌等では見ていたものの本体が無くプレイできなかった」多くの潜在的エロゲーユーザーを取り込んでいきました。
この時期にLeafから雫と痕が出て大ヒットを起こしたのはこれと無関係では無いでしょう。 多くのオタクが取り込まれて裾野が広がっていたからこそ、これだけの規模で浸透したのではないかと思います。(現にこれ以前の作品で現在までジャンルとして残っている物はないですよね)
96年末以降、各社のWin95への移行が進み、フルカラーというドット絵師の技術が無くてもCGが作れるプラットホームが出来た事から粗製濫造の時代が始まります。 やたらとスペックを要求する事に大したこと無いソフトがたくさん出回ります。 この時期出てきてすぐに消えていったメーカーはかなり多かったように思います(現在のメーカー氾濫とは質が違う。今のはむしろバブルに近い)
●5.23ショック
そんな中、97年5月、エロゲー業界全体を変え、同人界を変え、そして僕自身人生ねじ曲げられたゲームが登場します。
ToHeart。
Leafが出した傑作であり、未だLeaf自身でさえ縛られ続けているゲームです。
ToHeartは当時流行りだしていたインターネットと結びついてユーザー主導で大きな発展を遂げて行きます。
(これはTHが出る前の時点でLeaf系の大きなサイトはオープンしていて、雫・痕で盛り上がっていました。しかし、そこを中心としたコミュニティが爆発的な拡大をなしていったのはTH以降でしょう。正確な展開は僕がネットを始めたのがTHが出る直前であったため、誤解している点があるかもしれません)
まあ、商業的にも同人的にも多方面への影響があったわけですが、この辺りからジャンルというのは変ですが、ある傾向を持ったソフトが目立ち始めます。それは――
「別にエッチシーンなくてもいいじゃん」
という感想を抱かせるようなソフトです。
●倦怠期ラブストーリー
ここでTHに観点をおいて話をするならば、ノベル系をジャンルとしてあげるのしょうが今回はエロゲーのエロという事が主題なので、そこには触れません。
#と、エロが主題であることを忘れられてそうなので引き戻しておく(ぉ
さて、それまでもゲーム中ずっとエッチシーンがなくて最後に目当てのキャラとのHシーンがあるだけというゲームはありましたが(同級生とかね)、それはゲームの目的自体が目当てのキャラとのエッチをすることであり、それに至るまでのゲーム部分はエッチという最終目的を前提としているものです。これでエッチがなかったらすごく中途半端なゲームになってしまいます。(それときメモちゃうん?といわれそうですが、ときメモはイベントやらミニゲームやらのその過程、女の子と一緒に居ることを楽しむようになってますから違います。あれはエッチが最終目的じゃないから良いんです)
エッチシーンがほんとうにおまけ程度の扱いしかなくて、別にエッチしなくても良いようなゲームというのはどうなんでしょう。エロゲーといえるのでしょうか? 確かに、お話がよい・絵が可愛い・音楽がよい、それは結構です。それで元が取れたと思うならばそれはそれで間違ってはいません。 しかし、それではなぜエッチシーンがあるのか? エッチシーンがないと売れないからでしょうか?(アリスソフトの戦巫女はエッチシーンがない、一般ソフトという事で散々な売れ行きだったようです) そういう販促上の理由からというだけでエッチシーンがあるというのはちょっとどうかと思います。 これは制作者がそう思って作ってるのはどうか? という事です。 そういう意図で作られたエッチシーンでも楽しめるでしょうし、あって良かったと思う人もいるでしょう。 ただ、それはプレイヤー側の好意的解釈なのではないかと思うのです。 他の部分に価値を見いだせるならばエッチシーンがおまけ程度でも許せるのかも知れません。 他の部分が駄目駄目だったら、その上エッチがおまけ程度だったりした日にはCDを叩き割りたくなるでしょう。
●『エロ』ゲーであるということ
現在、最もコンスタントに売れているエロゲーのジャンルというのは陵辱系だそうです。
パッケージだけ見て『わかりやすい』ソフトが売れるようです。
熱心なユーザーが付いているメーカーは別として、やはりエロは強いんですね。
「どうせエロ書くんやったら、(読み手の)ちんちん立たせるつもりで書け」
そう思います。 この考えは思い当たるだけでも結構な異論が出てきそうですが、ちょっと待って下さい。 それはエロゲーのエッチシーンに対して何か別なものを求めているからの異論ではありませんか? エッチシーンなのにエッチであることがどうでもよくなってはいませんか? それは個人の好き好きだと思うのでそれ自体は誰からも否定されるものではありません。 ただ、ここでは僕の持論として云っているのだという事で勘弁して下さい。
最近、エロゲーメーカーに持ち込まれるシナリオライター志望の方の文章って、エッチシーンがおざなりな物がわりと多いらしいです。(実はそう根拠がないわけでもないケド) なにぶん絶対数が多いので、そうでない方も多いのでしょうが明らかに数は増えていると思います。(その絶対数が増えたのも下記のが原因だと思うけど……) メインのお話重視路線というか、あきらかにONEやらKanonやらがあんなちんちん立ちそうにもないようなので受けてるのが原因と思われるんですが、「それ、やりたいんだったらコンシューマでいーんじゃないの?」って感じの物が増えてきているっぽいです。 「コンシューマ業界厳しそうだから」みたいなエロゲー業界舐めてるような考えのはともかく、そうでなくてもエッチがわりと薄いという傾向はちょっと違和感を感じます。
まあ、そういう人は除けておくとしても、プロの現場でもそういう人が増えている気がします。 そりゃあね、メインのお話は重要でしょう。それは当然です。 だけど、そればっかりに傾倒するってのは如何なものかと思うのです。 「エッチが薄い? 俺が書きたいのは別のとこだもん」 そうですか、書きたいことがあるのは良いですよ、でもね……パンパン云わしてるだけじゃユーザーさんのちんちんは立ちませんよ?
さっきから身も蓋もない言い方してるとお思いですか? でも、エロゲーの話してるんだからそんくらい良いでしょう。 そういう部分を抜きにしてエロゲーは語れないと思いますが。 この話が教育に悪いようなお子さんが見てるわけじゃあるまいし、見てたら見てたで自己責任です。
視点がキレイゴトの方ばっかり向いてて、そういうエロゲーがエロゲーたる部分をおざなりにするのはどうかと思うのです。
ひとつ、エッチも満足、お話も満足というゲームを作る気にはなってくれませんかね?
心のちんちん立てて楽しみに待ってますから、是非。
と、随分と長くなってしまいましたが、ちょっと消化不良です。 東鳩をターニングポイントの一つとして挙げましたが、東鳩を出すとどうにも大きく見えてしまって全体のバランスが悪くなりますね。 実際大きいんですが。 今回はPC版のみを焦点として話をしました。 ……蛇足入れてるあたり駄目駄目ですね。
ところで、なんで僕は90年代前半のエロゲー事情を知ってますか? キミ何歳や(ぉ
そんな所で締めたいと思います。(突っ込み不可)
それでは〜。
ダダダダダッ!(脱兎の如く逃亡)
次回の苺電波コラムは adzumi です。