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- 苺電波コラム 第10回 -

"ゲームセンターとシューティングと私"


これを読んでいらっしゃる方で、ゲームセンターに定期的に通っている人はどれぐらいいるのでしょうか。最近ではDDRとかギターフリークスとか音楽系のゲームをやっている人が多いみたいですね。でも私はそういう時代の流れに乗らずに、昔から存在しているシューティングと呼ばれるジャンルのゲームを主にやっています。今回は私がシューティングというものに魅せられた理由、私なりのシューティングの美学というものについて書こうと思います。

■その日人類は滅亡した

我々4人と1体のロボノイドを除いて…。
トレジャーが1998年に出したゲーム、"レイディアントシルバーガン"はここから始まります。実は私、このゲームをやる前はゲームセンターに行く習慣なんでありませんでした。高校時代はよく友達と行っていたのですが、それ以降は近くに大きなゲームセンターが無いという事もあって、ほとんど行ってなかったのです。そんな私がなぜゲームセンターでこのゲームに会ったのか、それは去年の春、私が東京に行った際に、当時バーチャロンにはまっていた友達に付き添って新宿のゲームセンターに行った時の事でした。

■まるで必然のごとく、それはそこに貼ってあった

そのゲームセンターで、私はエレベーターに乗りました。たった1人で個室に入った私はその壁に貼ってあったポスターに目が行きました。奇麗なシューティングの画面。そしてメーカーのロゴ。"トレジャー"。「トレジャー、アーケードにゲームを出したのか!」その時の私の正直な感想。コンシューマ機でしか見たことのなかったあのトレジャーのロゴがそのポスターに書いてありました。最初はシューティングというジャンルではなく、トレジャーがアーケードに進出した、それだけでそのゲームに興味を持ったのです。

第2のきっかけは地元。東京から帰ってきて以降、私は地元で会社の帰りにゲームセンターに寄るようになっていました。そこで私はシルバーガンに再会したのです。ファーストプレイは3B(普通のゲームでいうと2面)のボス、MIKA−Lの前にあっさりと爆破されてしまいました。もともと判断力の弱い私ですから、こういう反射神経が必要なゲームは不得意なのです。でも、わずかながら面白さを感じた私は、観客になって他の人のプレイを見る事にしたのです。そこで私の見たものは、まるで次元の違う、知らなければできないようなプレイの数々でした。それも多種多様で、工夫がされていて、私は先人たちから見る事で知識を得ながら少しずつ前に進む事にしたのです。

■そしてそこから美学が生まれる

このゲームの詳しいシステムについては省きます。
ゲームというものを良くやっている人には分かると思いますが、人にはプレイスタイルというものがあります。最近の音楽系のゲームにもそれは当てはまるでしょう。クリアという到達点は誰にとっても共通の一つなのですが、そこにいたる道のりは人によってわずかずつ、時には大きく差があるものです。
シルバーガンというゲームは俗に言う"覚えゲー"と呼ばれるものです。ランダム性が低く、ほとんど決まったところから敵が出現し、つまりパターン化できるのです。しかし、そのパターンには正解というものがありません。自分の技量に応じて、自分の出きる範囲で、敵を倒すルートを作っていくのです。このゲームでは他のゲームに比べて比較的それがやりやすかった、それが私がこのゲームにはまった最大の理由なのだと思います。自分ができるぎりぎりの線を模索しながら、私は進んでいく事を選びました。
発売から1年以上たった今でも私はまだそれを続けています。私の日記のサブタイトルはまだしばらくはあのまま続く事でしょう。継続は、力なのです。

■今見えている光

最近は少し前に比べてシューティング人口が増えてきたと聞きます。ついこないだ、アトラス/ケイブから"ぐわんげ"というゲームが発売されました。去年のゲーメストのシューティング部門で1位になった"エスプレイド"というゲームの流れを汲むゲームです。根本は弾を撃って敵を倒す事なのですが、段々とストーリー性を持つゲームも増えてきました。あくまで付加価値的なものですが、ゲームを面白くする演出も増えてきています。もし、ゲームセンターにほとんど行かないという方、1度足を運んでみてはどうですか? どんなゲームでも構いません、いろんな人を見て、自分なりのスタイルを見つけるには良い場所だと思いますよ?


次回の苺電波コラムは東雲あずみの予定です。


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