またこのコラムの〆切が来てしまった. 元々私は〆切というものが嫌いである. にも関わらず書くことを強制されるとは,私の自由,ひいては人権の侵害ではないか.(ぉぃ それはともかく,「これは書かねば!」という素材に巡り会えていないため,ふと思ったことを書き記す. 題して,「やっぱり RPG が好き」である.
そもそも私が最初に遊んだ RPG は「Black Onyx」(spell 自信なし)であった. 当時の愛機 PC-8801mkII でプレイしたそれは,私に忍耐力と感動を与えてくれた. マシンの CPU は Z-80A *1 4MHzという今から考えると蝸牛のように遅いものであり,敵キャラが大量に登場した時など,それらを表示し終えるまでにカップラーメンが出来た *2 . 敵を 1 匹倒す毎に画面が再描画されるのをじっと耐えていた記憶は今でも鮮明に残っている. そしてもう一つ与えてくれたもの,それが感動である. では,私は何に感動したのだろうか.
ストーリー? いやいや,今でこそ RPG は綿密に練られたシナリオと演出によって感動を呼び起こしているが,当時のゲームにはおよそストーリーらしきものは存在しなかった. あるのは何故自分は敵と戦うのかという設定だけである.
では,その設定? 迷宮の奥深くへ入っていき,最終的に Black Onyx を取ってくるというだけの設定に,果して人は感動するだろうか?
キャラクター? 単に名前とパラメータだけの存在に入れ込むようなものでもあるまい.
結局,私はこのゲームにおける達成感というものに感じるところがあったのだと思う. というのも,その後もこの達成感を感じるようなゲームを遊び続けていくことになったからである.
ペーパーアドベンチャーというゲームを知っているだろうか *3 . 知っている人は,おそらくゲームブックのようなものを思い浮かべると思う. 簡単に説明すると,基本的には普通の本のように読むものだが,物語が進行する途中に選択肢があり,その選択の結果として指示された番号の振られた部分へ飛び,そこからまた読み進めるというものである. しかし,ここで私の意図するものはこれではない.
そのゲームの遊び方は簡単だ. まず,頭の中でシナリオを組み立てる. これはかなり大雑把でいいが,印象的な部分だけ,そのイメージを紙に書いておく. これで準備は完了である. いざ遊ぶ時になったら,これを友達に見せてシナリオのさわりの部分だけを話して聞かせる. 導入部を盛り上げるため,友人達が何らかの危機に陥ったことを告げるといいだろう. そして, 1 枚目の絵を見せてこう言うのだ.
「さて,どうしますか」
思いっきり,力の限り無責任である. 話の入口まで聞かせて「後は貴方に任せます」というのでは,買ってきた本を開いたら 2 章以降が白紙だったみたいなものであり,「金返せ」と言いたくもなろう *4 . しかし,そこはうまくフォローして納得してもらわねばならない. 友人が怒って帰ってしまってはゲームにならないからだ. すなわち,「何か分からないことがあれば説明するから,どんどん訊いてね」などと優しく言い,説明不足だった部分を補いながら,友人にも何らかの情景が浮かぶようにしてあげるのだ. それと同時に友人の思考の先回りをして,シナリオ通りのアクションを起こして頂くように誘導する. 例えばこんな感じである.
「あ,そこにドアがあるなら外に出られるよね.当然開けるよ」 「(うぐぅ *5 ,しまった,迷宮の設計ミスだ〜)」 「…ん? どしたの?」 「い,いや…,えーっと,それは出来ない」 「何故ぇ〜?」 「そ,それは……壁に書かれた絵だったのである」 「んなもんすぐ分かるだろーがー!」 「いーや,君達は『調べる』の一言もなかったではないか,はっはっはっはっ」 「……」
という具合である *6 .
そんなこんなで見事ゴールにたどり着けたらおしまい. 何が面白いのかというと,何といってもコミュニケーションの場となること,そして意外性を楽しめることである. どういうことかというと,コミュニケーションの場というのは自明として,友人達は(当然のことながら)こちらの用意したシナリオを超えて,とんでもないことを言い出すからである. それらの多くは「それって非論理的だよ…」 *7 なものであるが,中にはハッとさせられるアイデアがある. またしても例をあげよう.
「で,どうする?」 「ん〜〜〜,……神に祈る」 「…は?」 「神に祈る」 「え,えーっと…,じゃ,じゃあ,君が祈り終わると同時に,空から君の望むものが落ちてきた」 「へっ?」 「きっと願いが聞きとどけられたんだよ,うんうん」 「願いって,……接着剤が?」 「うん(きっぱり)」 「そ,そぉ…」
この「神に祈る」などという行為が,既存のゲームで許されるだろうか. これは,そんな新たな境地を開いた瞬間である.
ところで,細部はともかくこのゲームは何かに似ていないだろうか. そう,テーブルトーク RPG (以下 TRPG)である.
TRPG については,既に様々な場所で語られているのでここでは説明しない *8 . そして,その面白さを知っている人も多いだろう. 私が初めて参加したのは,「Dungeons & Dragons」,すなわち説明する必要もないほど有名 *9 な,あの「D&D」を用いたプレイだった. そこで正六面体以外のサイコロ *10 の存在を知ったのは余談であるが,そのクリスタルな輝きを見て以後,クリスタルチックなものが好きになったという後日談はもっと余談である. それはともかく,「D&D」で TRPG の素晴らしさを知った私は,「Tunnels & Trolls」,「Rune Quest」,「Sword World」,「Advanced D&D」などなどを経て,ますます TRPG を好きになっていったのである.
そんなに大好きだった TRPG とも,いつしか別れる時が来た. 私と友人ともども,大学入学のために遠く離れた所に引っ越したのがきっかけだった. もちろん大学にはゲーム系サークルもあってプレイする人間には困らないのだが,その人達と一緒に遊ぼうという気にはならなかった. 先にも書いたが, TRPG というのはコミュニケーションが楽しみの大半を占めるため,ある程度お互いのことを分かり合っている者同士でプレイするのが良いのだと思う. そんな仲間と離れることは,やはり TRPG の面白さを激減させていたのだ.
その後も長期の休暇中にはみんなで集まってプレイしていたのだが,年が過ぎ,いつの間にか仲間が集まることも少なくなっていった. そして遂に,一昨年辺りからは一度も友人達と集まっていない. それに比例して RPG そのものへの興味も低下し,今では PC ゲームなどでも RPG を遊ぶことはほとんどない.
こんな風に RPG と出会い,別れていったような私ではあるが,今でもやはり RPG を好きなのだと思えることがある. 今のゲームはジャンルを跨いだような,ジャンル分けの難しいものが多い. そんな中でも,キャラクターが成長するという要素をもつゲームを好んでプレイしているような気がするからだ.
例えば,いわゆる育成ゲーム *11 などはそうだろう. RPG とは自分の分身を育てるか他人を育てるかという違いはあるものの,その成長ぶりを見て楽しむという面では同じだと思う. つまり,その育成ゲームを好きである今の私は,最初はとても無理だったことを努力の末に成し遂げる喜び *12 ,すなわち RPG で感じる達成感を今でもやっぱり好きだったのだ.
そして今後も私は,知ってか知らずか RPG の要素をもつゲームを遊び続けていくに違いない.
まーた自分のこと書いちゃったよ.(^^; 読んで面白くないものばっかり書いてごめんね〜(と,誰にとでもなく言ってみる). 何か「書きたい!」と感じるものが見つかるといいんだけどねぇ. 今は本業が忙しいし,あまりココロにゆとりがないのかしら.(^^; まぁ,次回までには何かしらネタを見つけたいですね. それでは.
来週のコラム担当は baru です.