例えば,泥棒に入られたとします. そして,その泥棒が住んでいる家がわかったとします. でも,泥棒に入られたからといってその家に放火したら犯罪ですよね. ソフトウェアを不正利用された時に無差別に関係無いファイルを消去するような仕掛けをするのも同じようなことだと思うのですよ.
のっけから例え話で入ってしまいましたが, 今日のコラムはこの例え話の内容についてではなく, 「例え」そのものについての話です.
例えといっても色んな形態があります. 様々な形態の例えを全て網羅して考えるのは大変なので, まずは考える対象を絞ることにします.
分量というか,長さを考えてみます. 一つの単語を修飾するための比喩は非常に短いですが, これはこれである意味例えです. また, 本一冊丸々が何かしらの例え話になっているような長いものもあるかもしれません. とりあえずこのコラムでは一文章ぐらいの長さの例えを主に考えることにします.
例えを使う目的や状況も様々でしょう.
このコラムでは1と2を主に考えます. 他にも色々な目的や状況があるでしょうが,とりあえずこのコラムでは置いときます.
さて,例えを使うと色々便利なわけですが, 危ういこともたくさんあります. その危うさがどこにあるのか,前節であげた1と2の場合を中心に考えてみます.
まず,例えを使う時点で理解してもらいたい事実や主張は扱いや理解が難しいものであるということです. 1の場合にせよ,2の場合にせよ, 理解してもらうことが難しいことを理解してもらうために理解しやすいであろう例えを持ち出しているわけです. そもそも理解が簡単にできる話であれば例えなど持ち出す必要は無いわけで, 例えを使うという時点で既にその事実や主張は扱いが難しいと言えます.
次に,例えに関連して送り手と受け手がある程度共通した価値観をもっている必要があることです. もし,送り手と受け手とでその例えに関連する価値観が異なるとすれば, 同じ例えであっても送り手と受け手で感じるものが変わることがあるでしょう. 場合によってはその例え自体が受け手にとっては理解できない, 納得できない,といったことも起こり得ます. これでは到底大元の事実や主張を理解してもらうことはできません.
この2つの問題点を頭に入れた上で日常の例え, 特にネット上でのコミュニケーションでの例えを考えてみます.
ネット上では通常の会話と違って相手の反応を見るのが困難です. 面と向った会話で例えを用いる場合でも, 相手と自分の価値観の相違により会話が噛み合わないことはあるわけですが, ネット上では更にそういった事態が起きやすくなります. 話題にしていることについて相手は自分と価値観が異なる可能性があることは意識する必要があるでしょう.
Web日記を含むWeb全般,及びNetNewsは1対多のコミュニケーションです. 相手が増えれば相手の価値観も様々になるわけで, 様々な価値観を持つ人々を理解させ納得させる例えを作るのはより難しくなります. 1対1であれば例えが非常に特殊であっても, 相手が理解可能なものであればいいわけです. が,相手が多数となると, 一般には大元の事実や主張よりも普遍的な例えを持ってこないと理解してもらうのは難しいでしょう.
議論において例えを持ち出す場合はもっと慎重になる必要があります. 議論になっているという時点で, 相手と自分とはどこかしら価値観の異なる部分があるわけです. 例えを持ち出したくなる時点で, 自分の主張が相手に理解しづらい程度に両者には価値観の違いが存在するわけです. こういう状況で例えを持ち出す場合, 例えに関する価値観も共有できない可能性が高いわけです. 特に flame のような不毛な議論になっている場合, 例えに納得できないことから例え自体が議論の対象になり, 議論の発散の可能性をはらむこともあります. 例え話に対して別の例え話で応酬するような状況になると悲惨です. 端から冷静に見ると大抵議論になっていません.
上にあげた事は別に例えに限った話ではなく, ネット上でのコミュニケーション全般に言えることかもしれません. ただ,例えは元の話とは別の話を持ち出す分, ネット上でのコミュニケーションの問題点, 特に価値観の相違に対する認識不足からくる問題点が更に顕在化するように思えます.
というわけで,例えについて最近考えていたことを少し書いてみました. 例え自体は便利なのですが, 落ち着いて考えて見ると扱いの難しいものだと改めて思います. 例えが不適切であるために元の主張の妥当性が必要以上に低く評価されることもありますしね. 結局は,よく考えて文を書けということになるのでしょうか. まぁ,例えに限った話ではないのですけど,自戒をこめて.
次回の苺電波コラムはごうの予定です。