何でもありのこのコラムらしいですが, いわゆるWeb日記といわれる何でもありのコンテンツで 日頃色々書いている せいか,こういう場所を与えられると,どうしようか考えてしまいます. まぁ,せっかく与えられた場所ですから, ギャルゲーの声について最近考えていることを書いてみます.
昨今のギャルゲー、声付きゲームが花盛りです. コンシューマーギャルゲーでは大半が声付きですし, 18禁を中心とするPCギャルゲーでも声がついているゲームが増えてきました.
声入りゲームが珍しかったころならば声がはいっているというだけでも特徴になったかもしれません. しかし,今は声の使い方や演技の質といったものが求められる段階に来てるのではないかと思います.
この文ではギャルゲーの声について3点ほど考えてみます.
キャラクターの台詞全部に声があたっているゲーム, いわゆるフルボイスが声付きゲームとしては最も良いと考えている人は多いようです. 実際,部分的にしか声があたっていないゲームに対して, 「フルボイスならよかったのに」という評価をする人はよく見かけます.
じゃあ,フルボイスだったゲームの声の効果がそうでないゲームよりも常に良かったかというと,そうでは無いように私には思えます. むしろ,部分的にしか声を使ってないゲームの方が演技レベルが高かったりするし, ここぞという場面で声が非常に効果的に使われてる気がします. 実際,部分的にしか声を入れてないけれども, 声が効果的だったゲームはたくさん存在します.
もちろん,フルボイスのゲームでも声が効果的なゲームは多数あるのですが, その一方で声がダメなゲームというのはフルボイスの方が多い気がします. 理由のひとつとしては, 声を耳にする回数が増える分,アラや欠点が気になるというのがあると思います. また,声の量が多い分, 演出や演技指導が行き届いてないこともあるのではないでしょうか.
つまり,フルボイスの場合はゲーム全体にわたって声と演技と演出の質を維持するために声優さんも声を録るスタッフも非常に多くの労力を割く必要があるのです. ですから, そういった労力がまともに割けないのならばフルボイスはやめて欲しいです. ゲームをやってて興覚めします.
ところで,DISKDREAM のエンドレスセレナーデ(Win, 18禁)では, テキストを読むことに専念して欲しい場面では声の使用を抑えるということをやっています. このように積極的に声を使わないというやり方もあるのではないでしょうか? 特にストーリー重視のゲームではそういう考え方を検討しても良いと思います.
現在のギャルゲーでは, 各キャラクターの台詞通りの声をあてていくのが一般的な方法です. 私はこの方法はアニメの延長線上にあるものと考えています. なぜなら,脚本の台詞をキャラクターがそのまま話すというのはアニメ, というより戯曲にはじまって映画など既存の映像メディアがとってきた方法だからです. また,ゲームにおけるムービーや, 一部の声付きギャルゲーにあるテキストを消した自動進行モードなどは, アニメや映画を指向した手法だと言えるでしょう.
一方で,ゲームというメディアではこれまでテキストが大きな役割を果してきました. 映画やアニメでも字幕という形でテキストが使われることはありますが, ゲームにおけるテキストほどの役割を果たすことは滅多にありません. そういう意味でゲームは映画やアニメとは異なっています.
そう考えると, 台詞そのままに声をあてる以外にも色々やれることはあると思うのです. テキストと声でかけあいをしたり, うまくタイミングをあわせてテキストと声を異なる内容でシンクロさせたり, いろんなことができる可能性を持っているのです. そして,どれも台詞をそのままなぞるだけではできないことです. なぜなら, 声が台詞をなぞるのがテキストで与えられた情報への追加や補完だとすると, こういった手法はテキストとは独立した異なる情報を与えるものだからです.
今のところ私が知ってる範囲だと, そのような演出に挑戦してるのは前述のエンドレスセレナーデぐらいです. やはり,作り手にしてもプレイヤーにしても台詞そのままを声にするのが当然だと考えている人が大半なのでしょう. 確かに,台詞にそのまま声をあてるのは一番堅実な方法ではあるかもしれません. しかし,それが最も効果的な声の使い方かというと, そうでは無い状況というのもあるのではないでしょうか? 私は前述のエンドレスセレナーデをやってみてそう感じました.
ゲームというのは既存の映像メディアとは違ったことが色々できる可能性を持ったメディアなのだから, 既存の手法にとらわれず色々な声の使い方を検討して欲しいと思います.
うまく演出された声はギャルゲーにおいて多大な演出効果をもたらします. しかし,その演出効果が多大なために, 声が無かったら自由に想像できたであろう部分のイメージがはっきりして他のイメージを持てなくなることがあります. 私にはそのために失われているものがあるように思えます.
別に声がはいるのが嫌だと言ってるわけではありません. しかし,全てのギャルゲーが声付きになってしまうと, ギャルゲーが作り出せる世界が狭くなってしまうような気がして, それが嫌なのです. 声の無いゲームだから, 声という強力な演出効果に頼ることができないから, だからこそ作れる世界というものがあると思うのです.
なら,声を切ってゲームをすれば?, という意見が出てきそうですがそれはちょっと違うと思います. なぜなら,声がはいることを前提としてる場合とそうでない場合では表示されるテキストや画像が変わる可能性があるからです. 声が無い場合は必要な描写が声がはいることにより不要になるかもしれない, だとすると,声付きゲームを声無しでやることが声の無いゲームの世界を楽しむことと必ずしも等価にはならないと思うのです.
まぁ,実際にそこまでよく考えられて作られたギャルゲーがどの程度あるか?, と言われると厳しいところではあります, でも,私は,声が無くても売れるゲームが年にいくつかはあって欲しいと思うのです. そういった作品の中から面白い作品や興味深い作品が出てくるのではないかと信じているので.
ギャルゲーの声について最近考えていることを書いてみました.
最近,いくつかのゲームのキャスティングを見てると, 作り手側の伝えたいイメージで決まっているというよりは, マーケティング上の理由で決まっているように思えることがあります. 本当はゲームが声を使いこなさないといけないのに, ややもするとゲームが声に振り回されているんじゃないか? 杞憂であって欲しいですが少し心配です.
何度も書きましたが,ゲームにおける声の与える効果というのは本当に大きいんです. だからこそ,ちゃんと考えて(声を入れないという選択も含めて) 声を扱って欲しいと思います.
来週はま〜れぃの予定です。