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- 苺電波コラム 第35回 -

「私のゲーム史・前編」


■はじめに

ふと去年を振り返ってみると、今までの人生の中で一番たくさんゲームを買った年であると同時に、未クリアゲーム率が一番高かった(やり込み度が一番低かった)年でもありました(一覧はこちら)。これは、社会人になって金銭的に余裕ができたということと、逆にゲームをする時間がすくなくなった事が理由の一つにあげられると思います。その割には今まで以上にゲーセンに通ってたり(コラム第10回「ゲーセンとシューティングと私」、日記者ドリル部部室)、理由はそれだけではないような気がします。昔のTVゲームの方が面白かったのでしょうか? 客観的に見てもそんな事はないと思います。
というわけで、今回と次の私担当のコラム(約二ヶ月後)の二回に分けて、「私のゲーム史」を振り返ってみようと思います。もしかしたら何か分かるかもしれません。
それと、私的な理由でコラムの更新が遅れてしまったことを深くお詫びします。

■兄が何故それを欲しがったのか不思議に思う

最初にファミコンを買ったのは、私ではなくて兄でした。何か欲しいものを買ってあげると母親に連れられておもちゃ屋に行ったのですが、その時に兄が欲しがったのがファミコンでした。その時に私も何か買ってもらったはずなのですがさっぱり覚えてません。あの当時の私が興味を覚えていたものから考えて、おそらく何かのプラモデルを買ってもらったとは思うのですが、おそらくその時に初めてみたファミコンに完全に興味を奪われていたようで、ファミコンの入っていたショーケースをおぼろげに覚えてますし、何よりも、帰り道でファミコンの入った紙袋を開けようとして兄に怒られた事をはっきりと覚えています。
買ってもらったのは兄だったのですが、その時に一緒に買ったマリオブラザーズとドンキーコングJr以外のファミコンのカセットは、実は全部私が買っています。遊んでいた時間も圧倒的に私の方が多かった(まあ、兄は部活で帰るの遅かったですから、夕方は完全に私の時間だったのです)りします。で、時々兄が、私の買ったゲームで遊ぶ程度。これは、実は今でも続いていて、兄の家には私の買ったプレステのゲームが何本かあるはずです。

でも、今思うと、この時にずっとゲームをしてたといっても、一日に多くて数時間程度。特に前出のマリオブラザースとか、ドンキーコングJrで何時間も遊ぼうと思ったら何回プレイできる事か。子供だましみたいなゲームだったかもしれないけど、当時の私にはそれで十分で、短い時間で楽しめるゲームが好きでした。ですから、初期の野球とか、ゴルフとか、だらだらと長いゲームはあんまり好きじゃなかった記憶があります。確か小学3、4年の頃の話ですから、もう15年以上も前の話です(^^

■財布の中に1万円

ゲームのプレイ時間が変わり始めたきっかけ、それは多分、ドラクエ(初代)の登場からじゃないかな、と思います。と言っても、私はドラクエは1も2も買ってません。でもクリアした記憶はあるので、おそらく誰かに借りたのでしょう。最初に自分が買ったRPGはドラクエ3です。たまたま遊びに行っていた友達の家で、予約したドラクエ3が入荷したという電話があり、買いに行くのに付いて行ったら店頭売りもあって、たまたま財布の中に1万円入ってて…、というわけです。今思うと、その頃はまだ小学生ですから、よくもまあ、財布の中に1万円も入ってたなぁと思います。確かに昔はあんまりお金の使わない子供でしたが(^^
それまでは、一日に1時間という決まり事があったのですが、だんだんとそれを破り始めました。きりの良いところまでこないとやめられない、というのが建前だったような気がします。なんとなくこの頃からごろごろと坂を下り始めたような。それでも、ドラクエを例えて言うなら「リレミト&ルーラ」ですぐにゲームがやめれました。最近のゲームをやっててこれが非常になつかしい気がします。

■まあ当然の結果というか

この当時には良くある話で、ファミコンを隠されたと言う経験が私にはあります(今の子供はどうなんでしょう?)。でも、前述の通り、実際は私が買ってもらったものじゃないから兄にはとんでもない迷惑をかけました(もっとも、その当時の兄はほとんどゲームをしてなかったですが)。隠しても私が探し出して遊ぶものですから、最後には隠した本人もどこに隠したか分からないような場所に隠されてしまいました。もしかしたら、本当は捨ててしまったのかもしれません。というわけで、ファミコン後期からスーパーファミコンの初期の頃は空白の期間になっています。

が、実はこの空白の期間がかなり重要な期間でして。遊ぶものがなくなった私が遊ぶものとして選んだのが、パソコンでした(コラム第25回「そして11年が過ぎた」)。正直、これを気がついたのは最近の事で、私が苺にたどり着いたのもごく自然の事なんだなぁ、と思いました。 最初の動機は、遊ぶものがないなら自分で作れば良いや、という事だったんでしょう。さすがに市販のゲームを買ってきて学校でやるわけにはいかないですから、BASICを覚えて作り始める、言語を覚えたら他のものも作りたくなってくる、という風に好循環で中学時代を過ごしていたわけです。高校に入ってX68000を購入したと言うのも、後期にはほとんどゲームが発売されなくなったという点で、私のプログラムに対する意欲を高めた事になっているような気がします。 という事は、PSやSSやDCを次々と買っている今の状況は私にとってはもしかしてマイナス…なのでしょうか? うーん(^^

■ゲーセン時代の幕開け

少し話が前後しますが、高校に入るまではゲーセンに通うという習慣はありませんでした。最大の理由は近くにゲーセンがなかったから。今でも状況は変わっていませんが、高校に入り、駅前に出るようになって行動範囲が広まりました。と、同時にちょくちょくとゲーセンに行く様になりました。といってもそんなに頻繁ではありません。ちなみに私の通っていた高校はゲーセンに行く事を禁じていたのですが…まあ、時効ですよね?(^^
ゲーセンに通うという言葉がしっくりくるようになったのは実は大学入試前。ちょうど、ぷよぷよがゲーセンに出始める前です。入試前に遊んでしまうからとパソコンを自主封印した代わりに、というのがなんとも言えませんが(^^ 私って遊ぶものを見つける事に関してはかなり意欲的だったんだなぁ、なんて思います。これに関しては今も全然変わっていません。全然関係ないですが、当時はぷよぷよのクリアは仲間内で二番目でしたが、対戦ではひたすら弱いプレイヤーでした(^^

ちなみにゲーセン時代初期はあっさりと幕を閉じます。原因は、大学に入ってからゲーセンで一緒に遊ぶ友達がいなくなったから。ゲーセンって、遊ぶ場と同時に人との交流の場なんですよね。一人でもくもくと遊ぶのは楽しさ半減、って感じで貧乏学生にはそんな余裕はなかったということでしょう。

■という感じで

私のゲーム人生を半分振り返ってみたのですが、これだけでも私というものがほとんど語られているような感じがします。と同時に、今現在の自分がぶつかっている壁がはっきりと見えた気がします。おかしいですねぇ、単にゲーム人生を振り返っていたはずなのに(^^ 瓢箪から駒ってやつでしょうか?<ぉぃぉぃ
では、続きは次回。次回は私の経歴から抹殺されているはず(?)の大学時代から。現在のゲーム関して私が思うことを交えて書く予定です。…多分。

…やっぱ、その時の気分に左右されるような気がする(^^


次回の苺電波コラムは baru です。


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