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- 苺電波コラム 第4回 -


□ はじめに,あるいは言い訳のようなもの

今回のコラムは私の担当だ. 担当なのだが…. 困ったことに,何も書くものがない.

曖昧な日本語だが,筆記用具がないのだとは誤解しないで欲しい. より正確には,書きたいことが見つからない,ということだ. だからといって,引き受けた仕事をすっぽかすのはポリシーに反する. 少し考えてみたが,他に方法がないので,この「書くことがない」から始めよう.

もちろん,私とてこの頼りないテーマに満足しているわけではない. わけではないが,この際それには目をつぶる. テーマに比例して内容も頼りないものになる恐れがあるが,他の人たちがマトモに書いてる中,一つぐらいそんなものがあってもいいだろう.

今の心境を,明鏡止水と言う.
より平易な語では,開きなおりとも.

さしあたって,書けないのならば,その理由を探してみようか. それには,どうしたら書きたくなるかについて考えれば良かろう.

では,何かを書きたいという欲求はどこから来るものなのだろうか. 少し一般化してみれば,それは何かを表現したいという欲求だ.

□ 表現するということ

表現. 自らの内側に秘めたものを具現化すること.

それは,言葉を探す作業に似ていると思う. まるで,パズルのピースを探すように. 頭の中に浮かんでは消える言葉たちをつないでいく. 出来上がるのは一本の糸. はかなげな弱さのままにひきちぎり,また初めから編み直す痛みを認めて.

それは,音を探す作業に似ている. つい先ほど心に響いたはずの旋律が,今は輝きを失うのを嘆きながら. 失われた音を取り戻す作業. どこか,遠い過去の記憶の中から.

どんな手段をとるにしても,そこにあるのは,自らの感情の発露. 何かを書くにしても,何かを描くにしても,何かを作るにしても同じこと. 表現されたものには,その人の感情が映される. 本人が望むと望まざるとに関わりなく. それを是とするか非とするかもまた関係ない.

□ 感情を表すこと

感情をあらわにすること. それは,表現でもあり,そうでないかも知れない.

人は,年を経るにつれ,感情を表に表さないことを美徳としていく. 実はそれとは無関係ながら,私は感情を抑えることを学んだ. 残されるのは,抑圧された自身. それは,何とかして自分を認めさせようとする欲求との葛藤. そして,そこにもう一人の自分が生まれる.

本当の私. そんなものはないのに,追い求めるもの.
本当の自分. 特に理由もなく,現実を否定するための道具.
しかし,その自分が表に出ることが,表現することに通じるのかも知れない.

卑近な例を挙げれば,アニメやゲームのキャラクターに「萌える」行為は,まさにそれではないだろうか. このときの自分は,いつもの自分だろうか. おそらく違うだろう. 私の場合は,もう一人の自分を演じるつもり,だった. だったと言うのは,隠れていた自分が顔を出したに過ぎないと思ってしまったから.

□ 再び,表現するということ

思わず,意味不明で詩的な(?)文章を書いてしまった. もしかしたらこれも表現の一形態かも知れないが,あまり面白くないので元に戻そう.
…書いてる本人は少しだけ楽しかったけど.

で,何の話だっけ?
そうそう,何かを表現することについて,だね.

残念ながら,私は確たる表現の手段を持たない.
じゃあ,今書いてるものは何だ?
それはそれ. 話が続かないから置いといて.

で,私は乏しい表現の手段として,絵を描く. ものすごくたまにだけど. 題材は風景. 自然でも,人工物でもいい. とにかく,外に出て描く. もしかしたら外出すること自体が楽しいのかも知れないが,まぁ,それも置いとこう.

上記のようにあまり対象を選ばないけれど,もちろん好きなものはある. 自然のものならば,何といっても緑のある風景がいい. そして水. この二つがあればほほ完璧だ. 海はちょっと苦手だけれど.
そして人工物であれば…好きなんだけど,説明がちょっと難しい.

例えば,休日の学校. 普段はせわしなく人が行きかう渡り廊下にも,この日はまるで人影がなく.
例えば,今は見捨てられた山村. かつて多くの人たちが,笑い,哀しみ,色々な出来事の中で暮らしていた地にも,今はただ一面の雑草が生い茂るのみ.

こんな,ふとした拍子に,時の流れから忘れられてしまったような風景がいい. 元々時間の止まったような光景なだけに,いかにも「絵になる」.

逆に,あまり描きたくないもの. それが…人物画だったりする. ここで暴露してもしょうがないのだが,私は人が好きではないらしい. 細かい事情は秘密としても,これはかなりマイナスに働く. つまり,人を対象とする限り,観察力が低下するだろうということ. ちょっと悲しいことだけどね.

□ そして少し考えたこと

また話が逸れそうなので強引に戻す.
何かを表現したいと思うこと,書きたいと思うこと. 残念ながら,その答えはまだ見つからない.

今ここで書いてきたように,頭の中身をたれ流しにしたようなものは,表現物とは呼ばない気がする. また,当然ながら,見たもの,聞いたものを投影しただけのものも.

では,両者は何が違うのか. 先ほど書いた通り,私はまだ答えを用意していない. 即ち,私は表現物を持っていない. だから私は文章を書く,絵を描く,物を造る. いつかは,その答えに出会うことを夢想しながら.

□ おわりに,あるいはやっぱり言い訳のようなもの

以上,ほんの少しの真実と多くの脚色に彩られたものをぶちまけました. 深く考えないまま書いたため,私の頭の中身が分かりそうなぐらいぐちゃぐちゃ…. こういうものを公の場で公表していいものか悩みますが,仕事なので仕方ないですね. もし,次回というものがあるならば,もう少し肩の力を抜いて読めるようなものを書いてみましょうか.


来週のコラム担当は天野螢です.


mare@denpa.org